コンクリ護岸に文様! 新宿区中井に現れた和柄が伝える「染色の街」の今昔
2017年12月初旬、東京都新宿区の落合・中井エリアを流れる妙正寺川の護岸に、謎の文様が浮き出ているのが発見された──。
思わずそんな書き出しをしたくなるこのグラフィティ(?)。実はコレ、筆者がスタッフとして関わっている街おこしプロジェクト「染の小道」の実行委員有志による、実験プロジェクトなのです。名付けて「護岸アートギャラリー」!
年に3日間だけの「染の小道」に対して、イベントのない時期にも街に来てもらえれば、という思いがきっかけで動き出しました。
巨大な「型紙」で染色の工程をなぞる
まず「型紙」に適した材料探しから。ホームセンターであれこれ検討して、引っ越しなどに使うポリカーボネート製の養生ボードを選びました。これをくり抜いて、畳1畳ほどの巨大な「型紙」をつくります。着物用の反物を染める型染めや小紋染めといった技法と、大まかな原理は同じです。
実際の染色の工程では布地に型紙を置いて、上から刷毛で防染糊を塗っていきます。その後に反物全体を染めて糊を落とすと、糊の付いていた部分が染まらずに白く残ります。1960年代までは落合・中井エリアでも職人が川に入って、この糊を落とす「水元」という工程を実施していたのです。
一方こちらの企画では、ポリカーボネート製の型紙を切り立った護岸にしっかり押し当てて、刷毛の代わりに高圧洗浄機で水を噴射します。そうすると、抜いた部分だけ洗われて文様が浮き出てくるという段取りです。
絵を描くのではなく、あくまで「掃除する」というところがポイント。河川管理者である新宿区の理解も得られ、しっかりと協定書を締結して進めています。
冬の川に入って実験
降雨量の関係から、川底での作業許可が出るのは毎年12月から3月までの4カ月間のみ。その中でもなるべく暖かい時期にということで、12月3日、川に入って実際の護岸で試してみました。
作業風景を動画で。型に沿って汚れが落ちていきます Movie by Yuichiro IZUMI
地場産業と街の関係を結び直す
染色業にとっては川は必要なものであると同時に、脅威の対象でもありました。妙正寺川もかつては台風や大雨のたびに氾濫を繰り返し、商店街には土のうが常備されていたと聞きます。
ちなみに妙正寺川は、中井から少し下流で神田川に合流します。これが「落合」という地名の由来です。合流地点は、今では暗渠になってます。
神田川水系では1960年代から70年代にかけて、コンクリート3面張りのいわゆる「カミソリ護岸」の整備が進みました。安全と引き換えに人と川との距離は、物理的にも心理的にも遠くなっていきます。また公害が社会問題となっていた当時、川の水は反物を洗うには適さなくなり、時を同じくして川に染料などの薬液を流すことも規制されたため、水元の風景は街から失われていったのです。
毎年2月に開催する「染の小道」では、川の上に反物を架け渡す「川のギャラリー」が目玉企画の1つ。染色産業と川が密接だった街の歴史に、想いを馳せてもらうのが狙いです。
2月のイベントが終わった後の3月に、今度は「型紙」を本番を想定したデザインにして、横につなげる型送りまで含めた実証実験を予定しています。
目指すのは「いつ来ても染めの街」。文様を解説する冊子をつくり、街を巡るツアーを組んで……とメンバーの妄想は広がっています。
- この記事を書いた人 樋口 トモユキ
- ソトノバ副編集長/修士(建設工学, 都市工学) 建築専門誌の記者から転身、ドラマチックに合流する。愛知県名古屋市出身、東京都中野区東中野在住。東大まちづくり大学院1期生。人々が集まり営む都市というものに対する飽くなき好奇心を胸に、新たな発見を求めて夜な夜な街に繰り出す。キューバ渡航歴6回、東京都公認ストリートライブのライセンスを持つラテンパーカッショニスト。座右の銘は「君子豹変す」。











